読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

switch9’s blog

地球のみなさん、こんにちは

コンテキストなんて気にしなくていいのがインターネット時代のやり方、という話 (Du Bist Mir Nah / Joco Dev Sextett)

 本日の1曲は、Joco Dev SextettのDu Bist Mir Nahです。

 芸術とか文芸の、特に評論の世界でよく、コンテキストっていう言葉が使われるですけども、最近は徐々に結構一般の人も使うようになって来てるかなと思うんですが。日本語だと文脈って訳されることが多くて、何かの意味とか解釈を決めるときの手がかりとなる、その前後との関係性みたいな、うーん、わかりづらいですかね。

 

 音楽においても、たとえば、ロックを聴くにしても、「このバンドはローリングストーンズのあとに出てきたバンドだから、このコード進行は当時の流行に対する反発みたいなもんなんですよ」みたいな事を評論家の人は言いがちなんですけど、それはイギリスならイギリス、アメリカならアメリカのロックの文脈においての解釈なんですよね。まあ、イギリスとかアメリカのロックの歴史ならまとめて捉えてもさほど混乱はないんですけど、範囲をもっと広げて鉄のカーテンの向こうに行ってしまうと、同じロックでもまるで違うことやってるですよね。今日紹介するこの曲は70年台に東ドイツ、まだ壁が存在した時代の東ドイツのバンドで、ビートルズとかストーンズとかの事を彼らはもちろん知ってたんでしょうけど、編成も曲調も全然異なる進化をしてて、西側のコンテキストじゃまるで理解できないことになってるんですよね。

 ちなみに、この曲は、数年前に発売された共産圏・社会主義圏のジャズとかロックを集めたアルバムに収録されてるんですけど、おもしろいのが、ここに収録されてる曲がどれも、ただ単に西側の音楽と違うだけじゃなくて、もっと後の時代にイギリスとかアメリカで発明されたようなジャンルに近いようなことを、体制崩壊以前の時代にやっちゃてるんですよね。びっくりしますよ。レッチリみたいな音を出してたり、パンクロックみたいな感じもあるし、デスメタルのご先祖様かよって思うようなものまで、鉄のカーテンの向こう側でやってる。これはもう、単一のコンテキストで理解できないんですよね。たとえギターがデェーーンって鳴ったとしてもそれはデスメタルのデェーーンとは違うデェーーンなんですよね。でも、当時のそれぞれの国の人にとってはこれがロックなんですよ。

 

 今年でた本で『インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』っていう本があって、結構面白い本なんですけど、著者のケビン・ケリーさんがこの本の中で言ってるのは、音楽はインターネットの進化のおかげで、アルバム単位から曲単位にへと要素がばらばらになって、聴き手の好きなようにもう一回組み立てることができるようになったって言ってるんですね。つまりこれって「このアルバムはこのバンドのデビュー3枚目のアルバムで当時の社会情勢がどうこうだから、アルバム全体に漂う雰囲気がどうこう」みたいなコンテキストを取っ払うことができるって言ってるわけですね。なんでそれができるかっていうと、もう、今は多くの人が利用してますけど、インターネットを通じてあらゆる音楽を好きなだけ聴き放題で楽しめる仕組みをがアップルとかグーグルが提供してくれてるおかげなわけです。技術革新がコンテキストをある側面では無意味なものにしちゃったんですね。

 

 今はもう、70年台のイギリスの音楽でも、鉄のカーテンの向こうの音楽でも、21世紀のアメリカの音楽でも、聴く側がどう理解して楽しもうとも、もはや自由なんですよ。これから先、音楽を作る人は、まあ、音楽だけに限ったことじゃなくて、何か作品を作って世の中に披露していこうっていう人は、そのことを心の片隅にとどめておくと、自分の作品がどういう風にみんなに知ってもらえて、そして広まっていくのかがちょっとわかりやすいかもしれないです。そんなふうに思います。

 


Joco Dev Sextett - Du bist mir nah 1973 Germany locked

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則