switch9’s blog

地球のみなさん、こんにちは

好きなものと好きなものは好きなもので繋がっている、という話 (Grizzly Bear / Jack Scott)

 本日の1曲はJack ScottのGrizzly Bearです。

 

 Grizzly Bearっていうバンドがいてまして、その曲をちょっと聞きたいなと思って検索したんですね。そしたら、Grizzly Bearっていう名前の曲が検索結果の最初に表示されて。普通ならスクロールしてお目当ての曲を探すんですけど、なんかその時は魔が差したというか、ありきたりの日常に句読点を打ちたかったというか、全然知らないそのGrizzly Bearっていう曲を聞いてみたんです。

 そしたら、なんか妙にいい感じの曲で、探してたGrizzly Bearとは違うけど、今の気分ならこっちのGrizzly Bearでも良いかなあとか思って。でも全然知らない曲なので、この歌ってるJack Scottってどんな人なんだろうって検索してみたら、カナダでは結構有名なロカビリー歌手らしくって。アメリカにプレスリーあり、カナダにジャック・スコットあり、みたいな、ロカビリー業界じゃ名の通った人だって、その時知ったんですけど。

 

 で、なんか気になって、検索結果に表示されてる、Jack Scottに関連のある曲をいくつか聞いてみたらどれもいい感じなんですよね。個人的な好みの曲が多い。おそらくロカビリーの古典的な有名な曲が多いんでしょうけど。ロカビリー音楽って今まで生きてきた中で全然聞いたことなくて、興味もなかったんですけど、なぜかロカビリーが耳に馴染む。すごく不思議なんですよね。革ジャンも持ってないのに。

 

 好きなものって、だいたい他の好きなものと何かしらつながってるんですよね。例えば、好きな映画があって、その監督の別の作品を見て、やっぱり面白いなって思って、出演してて気になった俳優の他の出演作も見てまた好きになって、この映画は音楽がいいなと思って、音楽を監修してた人を調べたら、自分が前から好きだったレコードレーベルと関係があった、みたな感じのつながりってどんなジャンルにも当てはまってるんですよね。全然違うモノやコトに興味を持ったとしても、ずんずん知っていくと、いつかどこかで好きだった他のコトとつながってることを発見して、それってすごく面白いなと思うんですよね、無意識のうちに関係性を見抜いてるっていうのが。審美眼、っていうのかな、ちょっと違うか。ともかく何かしらのつながりがそこに現れる。

 

 ところがですね、ロカビリーに関しては、全然その感じがなくて。他の好きな音楽とも畑が違うし、ファッションとか芸術とか、興味のあることともなんのつながりも見いだせなくて。なんかまるで孤児というか、離れ小島みたいな存在で。

 

 これから生きていく中でさらにいろんなことを好きになったり興味持ったりしてるうちに、この絶海の孤島ロカビリー島に渡る橋をかけられる島が見つかるのかなあとか思ったりしてて、人生の楽しみがひとつ増えた気分です。

 


Jack Scott-Grizzly Bear

 

The Very Best Of Jack Scott [Import]

The Very Best Of Jack Scott [Import]

 

 

ハロウィーンの翌日に考える音楽の力、という話 (All I Want For Christmas Is You / Mariah Carey)

 本日の1曲はマライア・キャリーのAll I Want For Chrismas Is Youです。

 ハロウィーンが終わりまして、先週の日曜辺りですか、一番盛り上がってたのは。渋谷とかすごかったですよね、ほんとに。なんかもう、枕詞みたいにハロウィーンといえば渋谷みたいな。500年ぐらいしたらだれも由来わからなくなってるんじゃないかと心配になりますけども。

 みんなコスプレしたりして。ピコ太郎の格好してた人は軒並み滑ってましたね。まあどうでもいいですけど。なんですかね、コスプレしたい欲みたいなのが最近みんな高まってきてるんですかね。ここ数年ですよね、たしかにこの時期は何ってイベントもないといえばないので、上手くその隙間にハマったみたいな感じで、市民権得ちゃったみたいな感じですか。騒ぎたい人は騒いで楽しめるなら理由なんてなんでも良いんでしょうけども。「♪ハロウィンで酒が飲めるぞー」じゃないですけど。

 

 ハロウィーンがいつからいつまでなのかよくわかってないんですけど、昨日ショッピングモールに行ったらですね、もうハロウィーンの跡形もなくなってるんですね。こないだまでお化けとかかぼちゃとか全面に押し出してハロウィンセールやってたのに。そもそもハロウィンだから服とか日用品と買うっていうのもよくわからんのですけど。それはまあいいとして。そんでもう、クリスマスセールやってるんですよ。クリスマスソング流してて。いやいやいや、いくらなんでも、早すぎるだろって。

 まだ、11月も始まったばっかですよ。クリスマスって来月のしかも下旬ですからね。2ヶ月ぐらいあるんですよ。今頃からクリスマスはいかんでしょ。今から走り出したら助走でバテちゃいますよね。どうにかしてお客さんの財布の紐を緩めいないと行けないわけですから、あの手この手で、小売業のみなさんも大変だなと思いますね。

 

 いくらなんでも今頃からクリスマスっていうのは早すぎるとは思うんですけど、街にクリスマスソングが流れてるっていう情景はですね、個人的にすごくいいなと思うんですね。クリスマスソングってすごく好きなんですよ。なんていうか、あんまり人に説明しても理解してもらえないんですけど、クリスマスソングって、特定の季節とか風景と強く結びついてるじゃないですか、曲がかかっただけで、誰でも年末のあの雰囲気を瞬間的に思い出してしまうっていうか。そういう種類の音楽って他にないんですよね。夏でも秋でも、ベルの音とか鈴の音とか聴くだけでもう頭の中クリスマス一色になって。それがすごく楽しい。お正月のお琴の音もそうですけど、クリスマスソングはさらに強い。

 

 「音楽の力」なんてことを言いますけど、クリスマスソングはその最たる一例かなとそんなことを、寒くなり始めるこの時期になると毎年思い出します。とはいえ、いくらなんでもクリスマスセールはまだ早すぎる。

 


Mariah Carey - All I Want For Christmas Is You

 

メリー・クリスマス

メリー・クリスマス

 

表現者がたどり着く自己循環という終点、という話 (You Rock My World / Michael Jackson)

 本日の1曲はマイケル・ジャクソンのYou Rock My Worldです。

 

 先日、ニュースにもなってましたが、マイケル・ジャクソンさん、故マイケル・ジャクソンさんですね、残念ながらお亡くなりになってしまいましたので。そのマイケルさんの2016年度の年収が825億円だったそうで。もう亡くなってんのに。はっぴゃくにじゅうごおくえんって言われても全然ピンとこないんですけども、ともかくオレあと何年働いたらいいんだっていう、めまいしそうな天文学的な数字なんですけども。

 

 音楽活動っていうのは山登りと似てるところがあってですね、マイケルさんもアルバムを出すごとにどんどん音楽という山を登っていったわけですね。

 で、これは個人的な好みもあるんですけども、92年に出したDangerousっていうアルバムで、マイケルさんは音楽という山の頂上を極めてしまったような気がするんですね。ついに前人未到の頂きに達しちゃった。でも、山登りって頂上に着いちゃうと、あとは降りるしかする事ないんですよね。そこに住むわけにもいかない。

 その数年後にHIStoryっていうアルバムをリリースして、これも、もちろん素晴らしい曲がいっぱいなんですけど、なんとかしてその山の狭い狭いてっぺんからバランス崩して落っこちないように踏ん張ってるっていう感じがどこかにあって。まあ、それだってとんでもない事なんで、真似しようたってできるもんじゃないですけどね。でも、どこか「行き場を失いかけてんなー」って感じが漂いはじめるんですね、このあたりから。

 

 Dangerousまでのマイケルはクインシー・ジョーンズとかテディ・ライリーとか一流って言われる名プロデューサーとタッグを組んで、共同プロデュースっていう形でアルバムを出してて、そうやって他の人と組むことで自分が気づいてない魅力を引き出してもらいつつ、外からの刺激も受けることで新しいものを創作してたんだと思うんですね。他人の目線で冷静に一歩引いて見てもらうって非常に大切なことですから。

 でも、HIStoryに関してはセルフ・プロデュースになって。多分、自分自身のあるがままの、今伝えたいことを率直にを表現したいっていう想いもあったんじゃないかなあと思うんですけども、でも、一方でそれって可能性を狭めかねない危ない選択でもあったんですよね、今思うと。

 

 前置きがちょっと長くなりましたけど。そして、そのHIStoryから数年後にInvincibleっていうアルバム、これが生前最後のアルバムになっちゃうんですが、これをリリースして。そこに収録されてるのが今日の1曲としてピックアップした、You Rock My Worldです。

 なんで、この曲を取り上げたかというとですね、これはあくまで想像なんですけども、この頃になると、おそらく制作に関わってるスタッフがみんなちっちゃいときにテレビの向こうのマイケルと出会って衝撃受けて、「あんなかっこいいことオレもアタイもやってみてえなあ」って憧れを持って音楽業界に入ってきたような世代だったと思うですね。

 だから昔みたいにマイケルの魅力を引き出そうとするんじゃなくて、無意識のうちに、各人の中のかっこいいマイケルを目指しちゃったんじゃないかなあと思うんですよね。この曲のプロモーションビデオがあるんですけど、その中のマイケルがですね、「これそっくりさんじゃないよね」って思ってしまうぐらいに、ウソっぽいっというかぎこちないというか、見てるうちにだんだんマイケルっぽい動きをしてる誰かにしか見えなってくるんですね。もちろん本人なんですけど。演出とかダンスもなんていうか昔どこかで見たような断片の寄せ集めみたいな感じで。

 しかも、マイケルだっていつまでも心身のピークを維持できるわけではないですから、衰えがある。でも、みんなの心のなかにある理想のマイケルを裏切るわけにはいかんとなんとか奮闘しているように見えて。違う意味で色々と心に響いてくる映像なんですね。「まずいなー、このままだとマイケルまずいなー」って。

 

 若いときに名プロデューサーに見出され、その後、自分自身の表現したいことも追求して、その先で、過去の栄光へのみんなの理想に応えようとする、自己参照っていうか、自己循環にたどり着いちゃって。普通の人なら、もうここで「はい、おしまい」って下山しちゃうんですけど、ところがマイケルはね、やっぱり我々とは違ったんですね。

 おんなじとこをグルグル回るだけの自己循環から抜け出す唯一最後の手段が、自分の音楽に対する考え方とかパフォーマンスの技術とかそういうものをちゃんと次の世代に伝えることだって、そのことに気づいてて。「いいかお前ら、音楽っていうのはこういうもんなんだぜ」って。で、あのドキュメンタリー映画にもなりましたけど、THIS IS ITっていうライブ、まあ実際にはリハーサルだけになってしまったんですけども。あれをやったんじゃないかなあと思うですね。マイケルはどこか神様みたいなとこがありますから、多分自分の死期も悟ってたんだと思うんですね。伝えるならもう今しかないって。

 

 あのリハーサルにパフォーマーとかスタッフとして関わった人も、もちろんあの映画を見た人も、マイケルが人生をかけて音楽で何をしようとしたのかをすべて理解できたと思うんですね。あと何枚アルバム出しても伝わらない漠然とした何かを自分が歌って踊ってみせることですべての人が理解できる言葉に変換してくれたみたいな。劇中でオルテガ監督も言ってましたけどまさにチャーチ・オブ・ロッケンロール、ロックの教会ですよ。普通ならどうやっても抜け出せない自己循環も、あの人だからこそ抜け出して、そして有史以来の最高のミュージシャンになれたんですから。やっぱり、あれですよ、「オレの年収何年分だよ!?」とかそういう失礼なことは言っちゃダメですよ、偉人ですから。いやほんとに。

 


Michael Jackson- You Rock My World (HD 1080p Blu-ray Full Official Version)

 

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

 

 

不足と過多の間にあるちょうどいいところ、という話 (Fiar Weather Fridends / Daedelus)

 本日の1曲は、DaedelusのFair Weather Friendsです。

 最近、干物にハマってまして。きっかけは大したことないんですけど、たまたま入った食堂で食べた焼き魚定食が美味しくてですね、なんか、焼き魚の秘めたるポテンシャルに気づいちゃったんですね。焼き魚なんて今まで生きてきた中で数え切れないぐらい食べてきましたし、その時食べた定食も大して高い定食でもなかったんですけど。なにかに目覚めたかのようにですね、「これだ、これこそ求めていた焼き魚だ」って、それはちょっと大げさか。まあ、それ以来、不思議と焼き魚が今までよりも美味しく感じるようになって、色々食べてるうちに、特に「干物って美味しいなあ」ってなって思うようになってきたんですね。今じゃ、常に冷蔵庫に干物をストックしております。鯵が美味いんですよ、特に。鯵の干物が。

 

 干物を焼くっていうのも実は難しくってですね、焼き足りないと油っていうんですか、旨みの汁ですかね、ジューシーさが出ないですし、逆に焼きすぎちゃうと焦げちゃって食えたもんじゃなくなりますからね。こう焼きながら、もちょっとだなって、たまにひっくり返したりしながら、火力も調整したりして。個人的にはちょっとしっかり目に焼くのが好きなんですけど、なかなか塩梅が難しくて、ここぞっていうタイミングを見計らって、皿に乗せるわけです。あとは白ご飯と味噌汁があれば十分ですね。

 

 音楽もですね、焼き足りなさと焼きすぎのちょうどあいだの一番いい感じっていうのがあってですね。今日紹介するDaedelus、この人は確かアメリカの西海岸の先進的なヒップホップとかダンスミュージックを作ってる人なんですけど、西海岸と干物。いいですね、なんの関係もない。今日の話、無理やりだなっていう。

 ともかく、この人の場合は、このFair Weather Friendsっていう曲が収録されてるアルバムのポップさが、個人的には一番ちょうどいい焼き加減ですね。これより前のアルバムは焼き足りなくてまだ生っぽいし、これを過ぎちゃうとちょっと焦げすぎっていう感じですね。バランスを見極めた位置にある音楽のポップさがこのアルバムの魅力なんだと思います。「俺はもっと焦げてるのが良いんだ」っていう人もいらっしゃるかと思いますけども。

 

 干物の焼き加減にこだわれば、煙の向こうに西海岸のヒップホップシーンが…、うん、見えないですね。

 


Daedelus - Fair Weather Friends

 

Love To Make Music To (ZENCD142)

Love To Make Music To (ZENCD142)

 

 

自分の体験なんだか、他人のなんだか、よく分からなくなって、という話 (Whatever / Oasis)

 本日の1曲は、OasisのWhateverです。

 Oasisの曲の中ではこのWhateverとDon't Look Back In Angerっていう曲が好きでですね、今でもたまに聴きます。よく考えると、どっちも20年ぐらい前の曲なんですよね、時間経つの早くてイヤんなってくるなって思いますね。あの頃から20歳老いたのかーって。

 

 結構前の話になるんですけど、たまたまインターネットで調べ物をしてて、偶然全然知らない人のブログにたどり着いたんですね。スノーボードをやってる人のブログらしくって。なんか、カナダの山奥、スキー場じゃないようなとこ、山ですね、完全な雪山の中、にわざわざ雪上車っていうのかな、それで行って、そこに山小屋っていうかロッジっていうか結構ちゃんとした建物なんですけど、寝泊まりできるとこがあって、そこに滞在しながら、さらに雪上車で山の上の方まで行って、スノーボードする、そういうツアーに参加したっていうことがそのブログに書かれてたんですね。

 世の中には物好き、物好きって言っちゃ失礼か、愛好家、愛好家ですね、どんなことでも愛好家がいるもんだなあと思って、思わず読んでたんですよ。調べものしてたことなんかすっかり忘れちゃて。で、ぼくはスノーボードはやらないんで、よくわかんないんですけど、いいなあと思ったのが、昼間滑って夜ですね、夜はそのロッジにツアーに参加してるお客さんがみんな集まって、結構ごちそうを食べれるんですね。で、お酒も入って、すごく楽しいらしくて。だんだん盛り上がって歌なんか歌っちゃったりして。で、そこに参加してる外人さんが、置いてあったギターで、Whateverを歌ったらしくって、なんか「もうみんな一体になって、みんなで歌った」って書いてあってですね、みんなで歌えるOasisの知名度っていうかな、それにもおどろいたし、なんかその場の、雰囲気の良さみたいなのが妙に心に残ったんですね。こういう世界もあるのかって。

 

 で、ですね。人と喋ってるときに、たまたまカナダの話題になったときなんか、おもわず「実はさ、カナダの山奥にロッジがあってさ」って。自分そこに行ってないのに。赤の他人のブログ読んだだけなのに、さもスノーボードしに行ったみたいな感じでその話をしそうになることがあってですね、もう、自分の記憶に半分なっちゃってて。そういうこと時々あるんですよ。もう、脳が老いてますね。老化ですかね。自分の体験なんだか他人のなんだか、時が経つとだんだん境界線が曖昧になってきちゃって。これなんてまだ気づいてるから良いですけど、たぶん、たまにはテレビで見たことか、自分の事として喋ってるんだろうと思います。もしそうだったらごめんなさい。

 

 20年経てば、当然だれしも20歳老いますので。みなさんも、お気をつけください。今日は以上です。

 


Oasis - Whatever

 

Whatever

Whatever

 

 

コンテキストなんて気にしなくていいのがインターネット時代のやり方、という話 (Du Bist Mir Nah / Joco Dev Sextett)

 本日の1曲は、Joco Dev SextettのDu Bist Mir Nahです。

 芸術とか文芸の、特に評論の世界でよく、コンテキストっていう言葉が使われるですけども、最近は徐々に結構一般の人も使うようになって来てるかなと思うんですが。日本語だと文脈って訳されることが多くて、何かの意味とか解釈を決めるときの手がかりとなる、その前後との関係性みたいな、うーん、わかりづらいですかね。

 

 音楽においても、たとえば、ロックを聴くにしても、「このバンドはローリングストーンズのあとに出てきたバンドだから、このコード進行は当時の流行に対する反発みたいなもんなんですよ」みたいな事を評論家の人は言いがちなんですけど、それはイギリスならイギリス、アメリカならアメリカのロックの文脈においての解釈なんですよね。まあ、イギリスとかアメリカのロックの歴史ならまとめて捉えてもさほど混乱はないんですけど、範囲をもっと広げて鉄のカーテンの向こうに行ってしまうと、同じロックでもまるで違うことやってるですよね。今日紹介するこの曲は70年台に東ドイツ、まだ壁が存在した時代の東ドイツのバンドで、ビートルズとかストーンズとかの事を彼らはもちろん知ってたんでしょうけど、編成も曲調も全然異なる進化をしてて、西側のコンテキストじゃまるで理解できないことになってるんですよね。

 ちなみに、この曲は、数年前に発売された共産圏・社会主義圏のジャズとかロックを集めたアルバムに収録されてるんですけど、おもしろいのが、ここに収録されてる曲がどれも、ただ単に西側の音楽と違うだけじゃなくて、もっと後の時代にイギリスとかアメリカで発明されたようなジャンルに近いようなことを、体制崩壊以前の時代にやっちゃてるんですよね。びっくりしますよ。レッチリみたいな音を出してたり、パンクロックみたいな感じもあるし、デスメタルのご先祖様かよって思うようなものまで、鉄のカーテンの向こう側でやってる。これはもう、単一のコンテキストで理解できないんですよね。たとえギターがデェーーンって鳴ったとしてもそれはデスメタルのデェーーンとは違うデェーーンなんですよね。でも、当時のそれぞれの国の人にとってはこれがロックなんですよ。

 

 今年でた本で『インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』っていう本があって、結構面白い本なんですけど、著者のケビン・ケリーさんがこの本の中で言ってるのは、音楽はインターネットの進化のおかげで、アルバム単位から曲単位にへと要素がばらばらになって、聴き手の好きなようにもう一回組み立てることができるようになったって言ってるんですね。つまりこれって「このアルバムはこのバンドのデビュー3枚目のアルバムで当時の社会情勢がどうこうだから、アルバム全体に漂う雰囲気がどうこう」みたいなコンテキストを取っ払うことができるって言ってるわけですね。なんでそれができるかっていうと、もう、今は多くの人が利用してますけど、インターネットを通じてあらゆる音楽を好きなだけ聴き放題で楽しめる仕組みをがアップルとかグーグルが提供してくれてるおかげなわけです。技術革新がコンテキストをある側面では無意味なものにしちゃったんですね。

 

 今はもう、70年台のイギリスの音楽でも、鉄のカーテンの向こうの音楽でも、21世紀のアメリカの音楽でも、聴く側がどう理解して楽しもうとも、もはや自由なんですよ。これから先、音楽を作る人は、まあ、音楽だけに限ったことじゃなくて、何か作品を作って世の中に披露していこうっていう人は、そのことを心の片隅にとどめておくと、自分の作品がどういう風にみんなに知ってもらえて、そして広まっていくのかがちょっとわかりやすいかもしれないです。そんなふうに思います。

 


Joco Dev Sextett - Du bist mir nah 1973 Germany locked

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

 

 

創作することは苦しいことだ。でも、その先に誰も知らない未来がある。という話 (Love Will Tear Us Apart / Squarepusher)

 本日の1曲は、スクエアプッシャーのLove Will Tear Us Apartです。

 この曲は、もともとはジョイ・ディヴィジョンというロックグループの曲で、それをスクエアプッシャーがカバーしてるんですが、スクエアプッシャーさんていうのは、もとは、当時人気のあったテクノとかブレイクビーツのミュージシャンで、90年台の半ばに10代後半ぐらいでデビューして、才能の塊みたいな人なので、新しい音楽に敏感な人達の間で、「なんかすごい新人出てきたらしいよ」って噂になって、あっというまにブレイクビーツといえばスクエアプッシャー、みたいな事になっていって、いくつものレコードレーベル同士のの争奪戦になった結果、ワープレコードっていうレコードレーベルと契約するんですね。

 それから1年半ほどの間に3枚ほど立て続けにアルバムをリリースして、―これってすごいハイペースなんですけども―ブレイクビーツっていう音楽ジャンルをある意味で、もはや極めてしまうんです。本人も当時のインタビューで「機材の使い方もアイデアもやれることは全部やってやり尽くしてやったよ」みたいなことを言ってて、実際このジャンルを大きく進化させたんですけど、そしてすべてやりつくしちゃって、その次のアルバムで、全然違うスタイルの音楽を突然発表するんですね。これがリスナー的には期待とぜんぜん違うものでてきちゃったもんで、当時の評価は真っ二つ、というか真っ二つならまだ良かったんですけど、なんか違うんだよなあみたいなことになって。今聴いてみるとこれはこれですごくいいんですけど、ファンの中にすっかり出来上がっていたスクエアプッシャー像みたいなものと本人が描く理想像のギャップがあまりにもかけ離れてて、聴く方としては全然理解が追いつかなかったんですね。

 

 本人としては自信のある作品を出しても世間の評価がついてこなくて、そのアルバム出したあとスクエアプッシャーはちょっとの間、音楽活動を休止して、休止してたのかどうかはよくわからないんですけど、レーベルの関係者も連絡取れなくなってたみたいで、プチ失踪っていうのかな、そんな感じで、その後また2枚ほどアルバム出すんですけど、また違うスタイルの音楽で、あんまりにもスタイルがどんどん変わるもんで、ファンも評論家もスピードに追いつけなくなって。それでも「我関せず」みたいな図太い神経なら良かったんでしょうけど、スクエアプッシャーさんはその辺ちょっとナイーブな人なので、多分自分の中でも、「何がいい音楽なのか」みたいなちょっと迷った時期があったんだと思うんです。で、それまでテクノとか電子音楽とか、難解なジャズとかやってたのに、このDo You Know Squarepusherっていうアルバムの、まあ、このアルバムのタイトルも相当ひねくれちゃってるというかスネてるというか、自信喪失とまでは言わないですけど、そのアルバムの最後の曲にこのLove Will Tear Us Apartを収録したんですね。その意図は本人に聞かないと分かんないですけど、聞いたところで正直に言うような人でもないか。まあ、それはいいとして、やっぱり相当悩んでたんだと思うんですよね。自分に音楽の才能があることは確かで、作る音楽はすごく新しくて完成度も高いんだけど、世の中から評価されなくて、「なんなの? こういう音楽演れば聴いてくれるの?」みたいな心情の吐露なのかもしれないですけど、天才でもやっぱり迷ったり苦しんだりするですよね。スクエアプッシャーぐらいの才能の持ち主でも。

 

 で、実際のところ、このアルバムが評価されたかっていうと、当時の評判はあんまり良くなくて。ファンにしてみたら「どうしちゃったんだろうなあスクエアプッシャー」みたいな雰囲気があって。それでもスクエアプッシャーは創作し続けた。で、このアルバムの次に出したアルバムが、まるで霧が晴れたみたいというか、抱えてた悩みがすべて吹っ切れたみたいな、素晴らしい作品で、ファンからも評論家からも大絶賛されたんですね。

 でも、そのアルバムに収められた音楽はまるで新しいものじゃなくて、あの評価されなかった時代の音楽への探求があったからできた音の集積だったんですよ。そこを経た人じゃないとたどり着けない悟りの境地みたいな。つまり、アーティストっていうのは、ファンが求めるものを作って同じ場所をグルグル回ってるだけじゃなくて、たとえその時に評価されなくても新しいことを常に求めて続けて、その過程の苦しさみたいなのを経て、名作、名盤を後世に残していく大変な仕事だっていうのが、よく分かる。そうやって結果を出すと、批評家っていうのは急に手のひらを返したみたいに、その経過まで褒め始めるんですけど、まあ、これは我々凡才が、天才の考えてた壮大なプランをを遅ればせながらやっと理解できたっていうことなんですけども。

 

 まあ、創作活動をやってる人には、誰にでもそういう苦しい時代はあるものなので。「俺って才能ないなあ」とか、今、悩んで苦しんでる人も、自分が「正しい」、「やりたい」と思ったことがあるんなら、傍から何を言われようとも前に進んでください。きっと答えは出ますから。

 


Squarepusher - Love Will Tear Us Apart (Joy Division) HD

 

Do You Know Squarepusher (2CD)

Do You Know Squarepusher (2CD)